立川ガイド
立川・錦町のホテル街は旧赤線「錦町楽天地」の名残なのか
立川駅南口の錦町一丁目にはホテルが集まる一角があり、一方で過去の現地訪問記録などでは、同じ錦町に「錦町楽天地」と呼ばれる赤線が存在した歴史が言及されています[3][4]。同じ町名にあることや業態の印象の近さから、現在のホテル街は旧赤線の名残ではないかという見方が生じることがあります。しかし、現時点で確認できる資料をたどると、その連続性には慎重に見るべき点がいくつかあります。
住居表示の実施と地番の差異
旧赤線の所在地として挙げられる番地と、現在のホテル群の番地の違いから場所の不一致を論じる見方があります。しかし、立川市錦町は住居表示が実施された地域です[1][2]。
立川市の説明によると、住居表示の実施以前は土地の地番を住所として使用していましたが、地番と住居表示は別の番号体系です[1]。また、建物の建て替えなどによって住居番号が変わることもあります[1]。錦町で住居表示が施行されたことは記録されていますが[2]、過去の記録にある「十五番」という表記が当時の地番を指すのか、あるいは住居表示施行後の街区を指すのかは、今回の資料からは特定できません。したがって、数字の差異だけをもって新旧の場所が異なると断定することも、逆に一致していると判断することもできません。正確な位置を把握するには、新旧対照地図や公図などの一次資料による照合が必要です。

当時の訪問記録に残る街並み
過去に現地を訪れた記録では、旧錦町楽天地のゆかりの地とされる一帯は住宅街として報告されています[3][4]。駅南口から場外馬券売場方面を抜けた住宅街の中にあり、電柱には「楽天地」や「楽天地支」といった当時の呼称を残す地域表示が残されていたことが記録されています[3][4]。
これらの訪問記録が伝えているのは、訪問当時の街並みや電柱の表示です。今回、この記録から現在のホテル街と旧赤線の敷地を照合するところまでは確認できていません。
事業の継承関係と現時点の整理
場所の照合とならび、赤線廃止後に営業者が業態を変えて現在の宿泊施設へ引き継がれたかという事業の連続性も関心を集める点です。
しかし、自治体の制度案内や当時の訪問記録[1][2][3][4]からは、当時の事業者がどのような業種へ転業したか、またその事業が現在の特定のホテルへ継承されたかといった沿革は追えませんでした。
同じ錦町という地域内に旧赤線の記憶があり、駅寄りにホテルが集まっているという大枠の状況は把握できますが、地番と住居表示の対応関係や事業の継承を示す資料が未確認である以上、現在のホテル街が旧赤線の直接の名残であると結論づけることも、無関係であると切り捨てることもできません。この連続性をさらに明らかにするには、住居表示施行時の対照資料や土地建物の登記簿、当時の住宅地図などを確認する作業が残されています。
